2010年07月29日

五月人形 雄山 の口コミ

さて、五月人形 雄山 に関する真相は、はたしてどうなのでしょうか?ひょっとすると、いままでの常識とは、少し違うのかもしれません。

端午の「午」の音が「五」に通じていることから、五が重なる五月五日を端午の節句にしたという説が有力です。端午の節句には、身を守る「お守り」として、鎧や兜を飾ります。相場(低価格から最高額まで)は、7・8万〜100万あたりまでと最も高額になります。さて登竜門の故事はとてもロマンチックで、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。端午の節句には、男の子のかつては武運を祈る、つまり尚武の精神から、鎧兜、武者人形などが飾られましたが、菖蒲湯や菖蒲酒の「菖蒲」も、季節の花ではありますが、武運を祈る「尚武」に音が通じているので、そういう風習になっているようです。端午の節句の歴史は古く、奈良時代(約1,250年前)から始まりました。

江戸時代になると、神が宿る対象として人形(ひとがた)を飾る民間信仰とあいまって、民間でも端午の節句は盛んに行なわれるようになりました。同じように、奇数の月番号と日番号が重なる3月3日、7月7日、9月9日も節句になっている。日本においては、男性が戸外に出払い、女性だけが家の中に閉じこもって、田植えの前に穢れを祓い身を清める儀式を行う五月忌み(さつきいみ)という風習があり、これが中国から伝わった端午と結び付けられた。鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。「 兜飾り」は、兜のみの飾りになります。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時!鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。

特に武士は菖蒲を「尚武=武をたっとっぶ」とかけて、5月5日を尚武の節目の行事とし、盛んに端午の節句を祝うようになります。作り方の違いで、「江戸甲冑」と「京甲冑」の2つのタイプに分けることができます。そこで鯉のぼりの登場です。核家族化の影響でしょうか、最近鯉のぼりをあげる庭や場所がないと言うことで、鯉のぼりもコンパクト化が進んでいます。武者人形の多くは、歴史上の有名な人物や御伽噺(おとぎばなし)をモチーフにして作られています。典型的なこいのぼりは、5色の吹き流しと3匹(あるいはそれ以上の)鯉のぼりからなる。

気持ちの問題ですが、省略せずにきちんとお祝いしてあげてください。昔は、木の棒を立てて鯉のぼりを揚げるので、その棒を立てるだけで一苦労だったそうですが、最近はエアーを送り込むとスライド式になったポールがぐいぐい上がっていき、下ろすときは、エアーを抜くだけという、女性でも簡単に上げ下ろしできるのものがあるので、スペースがあるなら「屋根より高い鯉のぼり」って言うくらいですから、悠々と鯉のぼりが泳げるように高いポールを立ててあげたいような気もします。この端午の節句は奈良時代から行われているそうです。武者人形は、生まれた子の身代わりとして、厄を背負ってくれる『お守り』です。) 戦後になると、鎧兜・鯉のぼりに加えて、神武天皇と鍾馗様をワンセットで飾ることが主流になります。菖蒲の節句ともいう。

これは、江戸時代の初期に、武家が義経や弁慶などの人形を飾ったのがはじまりとされ、やがてそれが今のような兜と人形とになり、部屋の中で飾られるようになったようです。
実際にご自宅に飾る場所とのマッチングも大事ということです。
創業以来、老舗の伝統を守り、人形を愛するお客様のためにという理念であり続ける人形店の老舗です。


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