2010年06月17日

五月人形 木 関連の口コミ

五月人形 木と聞いたら皆さんなにを連想しますか?

端午の節句は、男の子の厄除けと健康祈願のお祝いとしての行事が、庶民の間にも定着して行ったお祝いです。この行事が、後に日本の宮中から鎌倉の武家社会へと拡がります。端午の節句などこうした節目節目の意味もかみしめてみたいものです。吹き流しの5色は五行説に由来する。これが五月人形の始まりです。もともと端午の節句は、悪鬼や災厄を祓うのが目的で(詳しくは「端午の節句のいわれ」を参照下さい)、武家屋敷の塀や門に柵を作り、幟(のぼり)や兜・槍・なぎなた等を並べてる外飾りでしたが、やがて鎧兜を着せた武者人形を飾るようになったそうです。

人形ではなく、鎧兜の飾りを、「兜飾り五月人形」などと呼ぶようです。他にも多くの鎧兜が、国宝やご神体として各地の神社仏閣で奉られています。これに対し、京甲冑とは、京都の貴族社会の中で生まれ育ったみやびなもので、装飾金具を組み合わせ、金箔を用い、龍の前立てを配した作りになっています。ある時一匹の鯉が激しく落ちる滝水に逆らいながらも、懸命に滝を登り切ったまさにその時!鯉の体はまぶしい光を放ち輝きながら龍へと変身し、悠々と天に昇っていったというお話です。中国語圏では、現在も屈原を助ける為に船を出した故事にちなみ、龍船節として手漕舟(龍船あるいはドラゴンボート)の競漕が行われる。そして現代でも、端午の節句には、我が子の健やかな成長と幸せを祈って五月人形を飾ります。

「端」は物のはし、つまり「始り」という意味で、元々「端午」は月の始めの午の日のことだった。尚、中国語圏では現在も旧暦5月5日に行うことが一般的である。黄河の上流の急な流れを鯉が上るということから、鯉は出世魚として考えられ、子供の立身出世の象徴として江戸時代から、盛んに立てられるようになったそうです。(流鏑馬の原型ですね)その中の一つ「端午(たんご)の節句」が後に「子供の日」となります。鯉のぼりは、中国の登竜門の故事に由来しています。鎧飾り五月人形は、鎧を中心にした飾りで、一般的には、両側に弓太刀(弓と太刀の飾り)を添えて飾ります。

さて登竜門の故事はとてもロマンチックで、昔々中国の霊山に「竜門」という滝があり、その急流の滝を登り切った鯉には霊力が宿り、龍になると言われていました。大将飾りは、現在も様々な形で端午の節句飾りに取り入れられています。続いては、人形の久月でしょう。都会ではもう鯉のぼりを挙げる家庭もないでしょうが、それでも、五月人形の鎧兜や武者人形の人気は衰えません。これらの風習が、やがて裕福な庶民の間へと拡がりを見せます。一生の記念である五月人形のお店として、この人形の老舗久月の作品を一度はご覧になって損はないものと思います。

端午の節句には、男の子のかつては武運を祈る、つまり尚武の精神から、鎧兜、武者人形などが飾られましたが、菖蒲湯や菖蒲酒の「菖蒲」も、季節の花ではありますが、武運を祈る「尚武」に音が通じているので、そういう風習になっているようです。
鎧兜の作りだけではなく、飾り付けるときの屏風や太刀などとのバランスも考えに入れて下さい。
さて、五月人形の飾り方についてですが、雛人形と比べてみると、どうもこれが決まりというものはないようです。


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